人気ブログランキング | 話題のタグを見る

日々の皿

洞窟





洞窟_c0367403_08500104.jpg












10月28日(金)  くもりのち晴れ  19/10℃


らくらく舟旅通勤の船はカランとしている。

白い箱のような舟は屋根なしで寒いからかもしれない。

オリンピックの前の試運転は混雑していた。

舟で通勤できるなんて、ずいぶん気分が変わることに思えるけ

れど。


やっぱり気になる。

今朝も母の機嫌は保たれていたから、おそるおそる声をかけた。

想起力というのは脳を鍛えるそうだし。


「おかーさーん。牛すじ食べたお店のことなんだけれど」

「なあに?」

「10月6日の夕方にね、大丸デーパートに行ったでしょう?」

「そうだったかしら」

「地下の食料品売り場の一番奥、お米屋さんの前のエレベーター

 で6階まで上がって、連絡通路を通って、ステラプレイスに入

 ったでしょう?」

「ステラ?なにそれ」

「レストラン街のあるビルの名称。抜けるとMUJIがあるところ」

「ああ。ああ」

「それで、レストラン街に入って、右側に「黒豚」って大きな看板

がかかっているお店の牛すじ、おいしかったね」

「ああ。あそこ」


と、いう声は霧の中から出てきたようにはっきりした。


ほっとした。

一緒にごはんを食べた記憶が母からなくなってしまうのは悲しいと思っ

ていたし。

母はとても記憶力のよい人だった。

今は年相応にあやしくなってきたけれど、周辺記憶を刺激すると思い出

せる。その度母はまだ大丈夫と思う。でも、得意だった暗算はだんだん

スピードが落ちてできなくなってきている。いつものようにすらすらと

計算しようとして途中で脳が止まってしまうのが外から見ていてもわか

る。でも足し算に足の指まで使う私よりうんといい。それに、意外な細

かいこともよく覚えている。だからIさんに母のことを相談した時、論理

的で知的なのに(私はそうは思わないけれど。娘は厳しい。)全く理解

できないとおっしゃっていた。なので母の病気は記憶の領域とはまた少

し違うと思う。重なり合っているところもあるけれど、心の領域なのだ

と思う。その領域が可視化できるといいのになあ。


隣町まで買い物に出かけた。

きのうの火事はニュースになっていた。

道は塞がれて、消防団員の白いヘルメットがそう広くない道にひしめい

ている。角に立っている団員の辛子色のAラインの防護服の裾にビビッ

ドなオレンジ色のストライプが入ったデザインが(機能性が生んだとい

うことだろうけれど)この空気とは場違いなほど可愛い。あたりには焼

けた匂いが漂っている。

不思議な気持ちになった。

きのうこの辺りを通った時には日常のなんでもないいつもの情景だった。

それなのに長い橋を渡り終えた頃には火の手が上がっていた。おうちの

人はどれだけ驚かれただろうなあ。あたりのおうちの人たちも大変だっ

ただろうなあ。





夕方、241キロバイトの写真の重さから始まって、仕事とは関係ない

方にめらめらと延焼していった。

そうして炎はこのところの一切合切をあぶりだした。

おかあさんの頭がおかしくなってから、わたしたちの暮らしも一変した。


彼はやさしい人だけれど、ご機嫌取りはしない。

その人の思いを尊重する。そういう一種の厳しさがある。

母がうちに泊まった時、拗ねてご飯を食べないと言って、私たちが食事

をしている食卓まで泣いた顔を見せにきた。私が怒ると玄関先に座り込

んで背中を丸めて母は泣いた。彼は座布団を持って行き、そこは寒いで

しょうから敷いてくださいと言った。

つまり、そこで泣いていたいのでしょうから、それは仕方ないことです

がと認めて、けれど環境の快適さは作ってくれる。人の気持ちを無理に

動かしたりをしない。上っ面の言葉で慰めたりもしない。けれど言わな

いだけでちゃんと考えている。母が求めているやさしさのようなものは

彼にはないし、母が泣いても効き目はない。だから母は自分の気持ちを

自分で始末をつけなくてはいけなくなる。

そういう人に「やさしく声をかけてあげて」「褒めてあげて」「私じゃ

ダメみたい。お願い」と毎日のように頼んで、彼にないものを求めてい

た。

母は私に炎をあげ、私はヒゲの人に八つ当たりをして、ヒゲの人は出口

を自分で塞いでいるから、溜まって爆発した。

何かを叩き割る音が聞こえ、洗面所に入って怒鳴り続けていた。

洞窟の中でお腹の中の渦巻いて重くなった物を吐き出しているようだっ

た。声の色をもっとちゃんと聞かないといけないと思った。そこには感

情の全て含まれているように思った。





細い敷地に建てられた、薄ぺらな建物のたこ焼き屋に行った。

三階に上がって、窓際に座った。

奥の席では学生のような男子のグループが盛り上がっている。

小さな窓から見える見慣れているはずの夜の通りは知らない街のようだ

った。

ヒゲの人は照れたような顔をして「ぼくの気持ち知らなかったでしょう

」と言った。私は、知っていた、でもどうしようもなかったのと言った。




―――――ごはん



豚肉と白菜のうどん鍋


洞窟_c0367403_08500186.jpg

たこ焼き

焼きそば

唐揚げ

アルコールフリーのビールと生ビール

なんだか、飛行機に乗っている時に感じるような、

地べたに流れている時間とは違う空間の中にいる

ようだった。





by hibinosara | 2023-02-03 09:48 | Comments(0)