日々の皿

銀杏500

c0367403_09131454.jpg







10月3日(水)  くもり  23/18℃


6時半に電話をする。

でも、どうして6時半なのだっけ。夕べ起こしてあげるね、

と言って電話を切ったけれど理由は忘れた。

母はもう起きていて胸を張るように「おはようさん」と明

るい声を出した。

体をあたためるお味噌汁飲んでね、それからおにぎりは2

個種類違いに組み合わせて食べてね、と頼んで電話を切る。

きのうたのしいことがあったから、今日はあっさり出かけ

て行った。

10時半に「銀杏500。二時間楽しんできました。終わ

り」と短いメイル。

夕方電話。

銀杏を拾っていると、台湾からの観光客も一緒に拾って、

そのままリュックにいれていたから「かぶれる」とゼスチ

ャーでしめすと、にっこりわらって全部出し「おばあちゃ

んどうぞ」とくれたのだそう。

笑いながら「おばあちゃんですって」「頭も白いし、そり

ゃあおばあちゃんよねえ」と母は言った。若く見られたい

というわけでもなさそうだけど、そう呼ばれることは、受

け取りがたいのだろうな。

そういう感情はリクツではないから仕方ない。


わたしの目下の悩みは、とても飢えているのにみたいも

がわからないということ。

と、ここまで書いて、すこし、感じるところがあった。

日置路花さんの書は見に行く。そう、ああいうもの。

たとえば、枯葉。うんうん、そう。そういうもの。

ひび割れた壁から生えているちいさな草、とか。

しぜんなもの、根があるもの、長い時間をかけて繰り返さ

れていて頭だけで考えられてないもの、企画やコンセプト

だけではないもの、ただひたすらにされているもの、見せ

すぎてないもの、そういうもの



------------


梨と柿のパリパリ。

どちらとも味が淡いから、梅サワーで味をしめて。

朝のごはん


c0367403_09064175.jpg

昼は

スパイス栗ご飯(バスマティライスで)、ごぼうのチップス

カボチャのスウプ

おいしかったけれど、バスマティライスは牛乳とバタではな

く、鶏肉と一緒に炊くのだったなあ。きっとその方がずっ

いい。


c0367403_09064138.jpg

カボチャのスウプのスパイスは、ローリエと肉桂。

ちらしているのは、アーモンドスライス。


c0367403_09064189.jpg

夜は

白菜と豚肉のとろみラーメン 

心底ほっとする。

ほかに、豆もやしのっけの冷奴中華風

おいしかったなあ。

c0367403_09064199.jpg

by hibinosara | 2018-10-11 15:36 | Comments(9)
Commented by fusk-en25 at 2018-10-11 20:48
おばあさん、おじいさんとは。。
孫からは呼んでも
老人に対して他の誰からもそんな呼び方はしないし。
私はまだバスで席を譲られると愕然とします。。
まして。。おばあさんとは呼ばれたくないなあ。

せっせと銀杏を拾っておられるお母様を想像して。
昔。母が幼稚園教師をしてい時代。
園児を大阪の御堂筋の銀杏並木に連れて行って銀杏を拾っていた光景をふと思い出しました。
Commented by hibinosara at 2018-10-11 22:54
fusk-en25さん
むずかしいところだなあ、とは思います。
台湾のひとたちは敬う気持ちでおっしゃったのかもしれないし。
おねえさんだと、いやらしい感じがするし、おかあさん、だといくぶん複雑になるし、
おばさん、がぶなんなのかもしれませんね。
親切で席を譲ってくれている中高生を(その年代のころ、30歳以上の人たちは、非常に遠い世代
に見えていた記憶があります)を叱るように否定する人を見かけることもあるけれど、
あれは可哀想だなと思います。ひどく傷ついて次が怖くなるだろうなあと。
もし譲られる時がくれば「お、そういうふうに見えるようになったんだ」と引き受けよ
う、と今から思っています。
年の離れた友人が70歳(男性です)になったとき、地下鉄の無料パスが送られてきた、
と電話がありました。すぐにピンときて傷ついたことがわかりました。年齢で老人と決
められるのは辛いところだけれど、それを引き受けつつ、自分は自分でいるしかないだ
ろう、と思います。
私が気になるのは、年を重ねた方を、子供というか赤ちゃん扱いするような態度です。
あれは、傷つくと思います。尊厳というのはどこにあるのか、と思います。
敬わなくてもいいけれど、対等にしているといいのにと。

こちらもそろそろ川向こうの銀杏の木が金色に燃える季節になります。
私は、母が拾っているところを想像すると、切ないような気持ちになってしまいます。
Commented by hibinosara at 2018-10-11 23:08
fusk-en25さん 追記
フランスには、敬老の日、のような祝日はあるのでしょうか。
私は敬老の日に今まで一度も、誰にも、プレゼントを贈ったことがないし、
声さえかけたことがありません。
それこそ、敬老の日に何かしていいのは、孫だけだと思っています。
むしろ、おばあさんの日、おじいさんの日、の方がチャーミングだとも。

Commented by na7-ko at 2018-10-12 07:30 x
おはようございます。
座席問題、もう少ししたら私達も、若い人達に声をかけられるようになるかも知れませんね。
そのときに、ウイットに富んだ御礼を言えるチャーミングな人になりたいなあ。
高齢者への子供のような声かけ、現実に心が痛みます。あと、耳が遠くないのに、大きな声で話しかけること。
認知のかただって、目線を同じにしてお話すると、色々教えていただくことも多いのです。
そして、施設に入居している方多くの人お年寄りは淋しがっている。
ということで、介護の知識が無い私は、みんなとお話しをするしかできないのだけれど、セラピードッグ並みになかなか人気者です。ふふふ。
Commented by hibinosara at 2018-10-12 07:49
ナナコさん
おはようございます。
ふふふふ。ほんとーに、そうですね。
中学生のときに見ていた高校球児は、大人の立派なお兄さんだったけれど、
今は、子どもに見えますものね。その逆転現象がおきてものすごい大人に見
えているということですよね(笑)
いま、大人だと思っていた人たちの写真を見ると「わっかーい!」と驚いたり。
席をゆずる人たちの背景もいろいろだろうなあ、と思う。
中学生の男の子とか、顔真っ赤にしているし(かわいー)、儒教の国の観光客
の方は年配の方にはすぐに席を譲っています、西洋人もそうだなあ。
母は席を譲られると「あなただあれ?」と思うくらいすばらしい微笑みをします(笑)
あれを真似しよう!!

そうなんですよね。
その70歳の友人も常に傷ついていました。
子どもみたいなリハビリを一斉にさせて「よくできましたー」とかね。
企業で闘ってきた昔かたぎの特に男性はたまらないと思います。
だって60代から100歳くらいの方がいらっしゃるわけでしょう。
0歳から40歳までのひとたちを同じに扱う(まあ、ちょっとちがうか)
ということになるというか。
うんうん、淋しいんですよね。だから怒るんだろうし。えーん。胸が痛いなあ。
ふふふふ、セラピードックのナナコさん、目に浮かびますよー。

老人のはなしになると、すっごく話がながくなっちゃう。
昔から思っていたの、尊厳って、なんだろうって。
人の気持ちを、ちゃんと考えないといけないんですよね。
Commented by na7-ko at 2018-10-12 11:35 x
ああ、お母さま素敵!そんなふうになりたいな。
リハビリの事も、まさしくそうですね。
伺っている時にリハビリの時間と重なると、いっしょにやって、
うわー、できないーっと嘆いていると、こんなふうにやるんだよ、
って教えて下さったりします。
人に教えることも笑顔につながりますね。
ふんふん、すごいねって聞いているだけだけれど。

私もとまらなくなっちゃう!
続きは熱燗でも飲みながら、またゆっくり。
Commented by at 2018-10-12 23:42 x
日置路花さんの書をしらべて、動けなくなってしまった。
涙がぽとりとおちました。

むくまは食べものも座る場所も、こども扱いされると怒ります。
いっしょ、いっしょが口癖で、おかずの内容がわたしたちと一緒かきびしいチェックがはいるの。笑
もちろんむくまは、まだまだちいさいひとなので同じにできないことはたくさんあるのだけれど、
人として対等に接しているのかを敏感に感じとっているのだなあと。
だから、むくまにはまだ難しいこともたくさん話しています。わからないなりにわかってくれていることを感じます。涙

歳を重ねるとおじいさん、おばあさんになってゆくけれど、
おじいさんおばあさんの中にも、中学生の男の子や少女、赤ちゃんだって住んでいるものね。
Commented by hibinosara at 2018-10-13 05:47
ナナコさん
そうですよね。
母は夜一人になると、おいてけぼりになっているような気持ちになる、
と言っていたの。その気持ちはなんとなくわかります。子どものとき私はそうだったから。
そうなんですよね、ちょっとだけ、「エッヘン」という気持ちになりたいですものね。
ナナコさんがいるとみんな幸せになるだろうなあ。

はーい。
熱燗用意して待っていまーす。
Commented by hibinosara at 2018-10-13 08:57
愛ちゃん
えーん。何かね、そうなの。
今日、一水寮に行ってくるね。ちょっとだけ、緊張しています。

コリンちゃんがちょうどむくちゃんくらいの頃、靴を履くのを
手伝おうとしたら「じぶんで」と怒って、はっ、そうだった、
ごめんなさい、と本気で謝りました。
じぶんだけの気持ちで親切にみえるようなことを軽々しく行っ
てはいけないなあと思うし、それにね、ちいさなひとたちはね
、そんなわけにはいかないことはわかっているけれど、
そのままでいてほしい!と思うほど、すばらしい!
(来月会えるんだな、むくちゃんに)
むくちゃんが愛ちゃんのお話を、目を見開いて聞いているところが、浮かんでいます。


そうなのよね。
体はね、生きるに大変になってゆくけれど、
心の中には生まれてきてからの時間がそのまま横たわっているのよね。
心は不老不死だと思う。