日々の皿

百回の四倍ほど

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蜂もまた冬眠から覚める





11月28日(水)  くもり  10/6℃


夕べはソファで眠った。

畳の部屋の蛍光灯の色は冷たくていやだ。その光に工場の

ように何もかもさらされて、現実が寒々しく広がって。

ラジオは一晩中ちいさな声で何かを言っていた。縮こまっ

ていたから体がバリバリする。

ストーブの灰の掃除をして新聞紙、小枝、枝、薪を順に組

む。きのうの夜、薪をくべてめらめらと燃え広がる炎を眺

めながらこういうスピードで暮らしたいと思った。

にあっている速度だと思う。緩急があって火の勢いが

ではないところも。つねに火に注意を向けて感覚を使って

いなければいけないところも。ひとりの夜に火がおしえ

くれることは多い。

引き出しにフリーズドライの味噌汁があったので、かさか

さ軽い四角い塊をお椀に入れて湯を注いだ。豆腐が現れて

しかもふっくらと広がり、その上っこうなおいしさ。あ

んまりびっくりしてひげの人に「リーズドライの味噌汁

が!」と電話をする。

ひたすら掃除をして、二時には帰ってきたいからそろそろ

出かける用意。比較的近い場所に(と言っても一里先では

あるけれど)おいしい蕎麦屋があることをこの間知ったの

だ。

よけの鈴を用意して、けれど出かける前に念のため店に

話をすると誰も出なかった。もしかすると明日だってや

てないかもしれない。突然食料の問題。

おでんと焼売は大切にとっておいて、食器棚に残っていた

レトルトのハヤシをふた袋、水を張った鍋のなかに入れて

にかける。

去年、山の家の食事はわたし一人のことだから試しにすべ

てレトルトにしたけれど、一種の心的外傷なのかレトルト

のことが思い浮かぶだけで拒絶反応が出てあれから一度も

口にしていない。

どんぶりを湯で温めて、ごはんはレンジでチン。どんぶり

の水気を拭いてごはんをほぐして入れ、ハヤシをどっとか

ける。

わびしい。

なにがどうわびしいのかわからないけれど、心が崩れてい

きそうでこれはいけない、と思う。

どんぶりを膝にかかえソファにこしかけて集中してべる。

あたたかさや、ハヤシのなかの微妙な味わいが口広がる

につれ、すこしずつ気持ちは晴れ、おいしい、とじる。

おでんと焼売が冷蔵庫の中で支援のエールを送っくれて

いる明るさもあるのだと思う。

重い斧で幹を打つ。外れてすねを打撃してひやりとした。

100回打てば裂けた幹は落ちると信じた。

「カン、カン、カン、カン」空に響く音。

その4倍ほど打って、幹とそこに繋がる大きな枝はようや

く落ちた。裂けた幹の半分は生木で時間がかかった。

去年の豪雪で潰れた車庫の、むき出しになった土台にひげ

の人の打った枝が、まるで車庫に手向けられたように重

っている。その上に打ったばかりのまだ青い匂いがする

大なトナカイの、複雑な角のような枝を置く。


椿の種をみつけた。石を重ねてつくったお地蔵さんみたい

な形をしていた。大きい。いくつか採って部屋に持ち帰

る。椿は青い蕾をたくさんつけていた。咲くのを見たい。

どこを触ってもカメムシが出てくる。窓の細い隙間に上半

身を入れてなんとか掻き出されまいとするうごめく後ろ脚

と尻を見るうちに懸命なのだなと情が移る。家があたたま

とカメムシたちはゆっくりと目覚め壁や床を這い羽音を

てて飛ぶ。ふいに触れてしまったカメムシはモフモフと

して温かく虫というより猫とか犬とか動物のような手触り

だった。

指先の筋力が急に衰えて、油性マジックやミネラルウォー

ターの蓋がうまく開けられない。寒さからなのか、それと

も枝打ちで妙な力を使ったせいなのか。

夜は食器棚の奥から発見されたさんまの缶詰をガス台であ

たためてビールを飲んだ。指先がうまく使えないからいち

いち時間がかかる。中村屋のシチューのレトルトをすこし

残っていたスパゲティにからめて食べた。

そして、カザルスを聴いた。

沁み入るようなさびしい音はまっすぐにやってきた。けれ

どそれは意外にも子守歌のように胸をあためてやさし

った。






by hibinosara | 2018-12-06 14:57 | Comments(4)
Commented by na7ko at 2018-12-06 18:43 x
カザルス!
そんな夜にカザルスは悲しくなっちゃうでしょう。
こっそり後ろで弾いてあげたいな。
あんまり下手くそで、ふふふって笑ってしまうと思います。

わたしのチェロの先生は、バッハの無伴奏は、暖炉の前で
自分の為だけに弾くような気持ちで練習するといいよ、と
いつもおっしゃいます。
(そんなレベルではないけれど。)
なんだか、その言葉がすとんと腑に落ちました。
Commented by hibinosara at 2018-12-06 22:59
ナナコさん
ふふふ。ありがとうございます🤗
そうですね。悲しい。そうかもしれません。
どうしてあの夜、カザルスに心が癒されたのか。子守唄もそうだと思うのですが、
哀しみや慈しみや癒しは非常に近いものではないかと。
深部にある痛みは哀しみを持ったものでなければ癒すことができないのだな、と。
カザルスの音楽が表面的には悲しく聞こえても、傷を癒す本質的な優しさがあるのだなあ、と。
ひたひたと沁み、ほんとうにじわりじわりと熱を持ってあたたかかったのですよ。
それこそが時々与えられる、音楽の効能ではないかとも。

でも、ナナコさんのチェロも聞いてみたいです。
いつかよろしくお願いいたします。

無伴奏に関しては奏者ではないのでわかりませんが、何事によらず自分のためにするのは、
大切なことだなあと思います。
Commented by fusk-en25 at 2018-12-07 01:39
温かさや。寂しさや。静けさが
みーんな漂っている家や周囲を想像しています。

焚き火にしろ。暖炉にしろ。
火の動く様は。。リズムがあって身にしみますね。
冬のヴァカンスに海端の寒村に行ったことがありましたが。
暖炉付き。借り賃に薪の値段が表示されていました。
Commented by hibinosara at 2018-12-07 08:54
fusk-en25さん
東北の独特な寂しさもあるのだと思います。
空は晴れても晴れても晴れ切らず、嘆いているような太陽です。
それはファドの歌声にも似ています。

そうですね。
炎はすべてを受けいれてくれるような大きな存在だなあと思いました。
あの色も熱も動きも素晴らしいですよね。
借り賃に薪の値段・・それは薪の量によって、借り賃が違うということなのでしょうか。
うちは来年の春、薪を予約しなければいけません!