風の音しかきこえない
1月18日(金) 吹雪のち夜に晴れ -2/-11℃
母はいつもどおり玄関まで送って来て「すごい雪」とつぶや
いた。
ひゅーっ、と風が鳴り、雪は吹雪いて荒れ狂っている。
見るだけで首がすくむような天気。
北海道人は雪道を器用に走るけれど、これだけ吹雪けば乗る
人もいないのか、向かいのマンションの駐輪場の自転車は静
かに雪に埋もれはじめている。
お昼には帰ってくると約束をして、家を出てすぐに地下に潜
り、今日もまたテレビ塔の見えるビルに向かった。
ベンチに腰掛けて地上を覗くと道ゆく人たちは皆深く頭を下
げて、雪を逃すように歩いている。
頭の中がからっぽになるようなこの景色にも、この十日ほど
ですっかり馴染んだ。
今日のおみやげは、地下歩道空間の八百屋の金柑。
行きがけに気になって、でももうないかもしれないと目を細
めると、遠くからでもオレンジ色が山を作っているのがわか
った。ふた袋買う。おもいついて地下歩道の隅で袋を開けて
味を見る。戻ってもうふた袋買う。これは東京に持ち帰る分。
息急き切って帰り、「今すぐにイワシのパスタを作るね」と
台所に入ろうとすると母はおにぎりを食べてしまった、とす
まなそうな顔をした。
雪は降り続いた。
オーバーを受け取ると冷たい。
「飛行機飛びますかね」と保険の外交員さんは心配そうな顔
をしたけれど、夕べのうちにまた一日延ばしたのだった。
ひげの人がそうした方がいいと言ったせいもあるけれど、こ
んな寒い冬の夜に、急に一人になるのは寂しさのなかに放り
こまれるようなものだから。札幌駅のホームにポツンと残さ
れて、暗い道をとぼとぼと独り家に向かう、凍える母の背中
を思い浮かべるだけで胸が痛んだ。
お茶請けを六花亭で買ってきた。桜餅の並ぶ店のそこだけモ
ンシロチョウが飛ぶ春みたいにあかるくて、おかしみさえあ
った。外交員さんは女性だと知っていたから、これがいいよ
うに思った。けれど、ピンク色の餅は皿の上にのったままで
、書類に書き込んだ後、母はじぶんの分も小さな袋に入れて
お渡しした。
外交員さんもこまごまとしたものをくださった。
定番のティッシュには何の色も付いて見えなかったけれど、
お正月のおみくじ付きの福茶や、保険会社の名前の入った「
金太郎飴」にはほのあたたかさが宿っていて、聞くと職員み
んなで相談して決めているのだそう。
人のよい外交員さんがくださったせいで、よりよく見えたの
かもしれないけれど、心がこめられていることは、何とはな
しにわかるものなのだと感動して、あぶなくちょっと泣きそ
うになった。
風だけになった暗い道をゆきながら、ひげの人に電話をする。
外交員さんの人のよさや、近所においしいパン屋ができて今
向かっていること。けれど、口を開くたびに冷たい空気をお
しこめられて、言葉もとぎれとぎれになる。そのうち「風の
音しか聞こえない」と電話の向こうの遠い声が言った。
遠回りしてしまったパン屋は、雪で足がとられる裏道の小さ
な古い喫茶店や飲み屋が並ぶ一角にあった。
濃い焦げ茶色に焼きあがって絶対においしいと確信したクリ
ームパンを一つ、最後の一つガレット・デ・ロワ、カレンズ
を一袋、バタールを一本、食パンを半斤。
帰ると母は身支度をしていて「たくやさんのお土産を買いに
いくの」と言った。
パンを見せると母は釘付けになり、クリームパンを半分に割
るといかにもおいしそうなカスタードクリームがはみ出して
、母の目は輝いた。おいしい、おいしい、と何度も言って、
ガレットまでオーバーを着たまま食べてしまう。
ベランダに鍋を取りにいくと、蓋にこんもり雪が積もってい
た。
今夜はごはんの仕込み。
母にはトマトソースの作り方を覚えて欲しい。
火加減さえわかればほぼ100%おいしくできるし、肉でも
魚でもスープでも使い回しができる。何もない時でもなんと
かなるし、ひとり暮らしには便利なソースなのだ。
にんにくの香りを移したオリーヴオイルに2リットルのトマ
ト缶を注ぐと「そんなに。冷凍庫はもういっぱい」と言って
母は止めようとしたけれど、このくらいの量で作った方が断
然味が出る。
鍋いっぱいに沸りはじめた赤いトマトのクツクツを、母は見
守る。
―――
朝は
トーストとブリー
ほうじ茶チャイ
昼は
母はおにぎり
わたしは雪の中を戻った。
帰って来たらやっぱり一度は味噌ラーメンを食べたくて。
スープはぽったり系の流行りの味。観光客の方が多い店。
宮の森の大叔父とよく行った「味の三平」に行くんだったな。
夜は
イワシの梅煮をコトコト煮たり、豚肉の甘煮を仕上げておこわ
ご飯を作ったりした。
ご飯は、イワシのスパゲティとパン、胡桃とチーズ。
仕込みをしながら、あわただしく食べる。