風土のちから
4月3日(水) 雪のち快晴 6/-1℃
朝、雪。
つめたく降って、窓をくもらせている。
昼は母に酢豚の試食をしてもらった。
みんなそれなりに歳をとっているからあっさり作ってほし
いと言われた通り、表と裏に細かく包丁を入れてやわらか
くしたヒレ肉を使い、やや薄味に。
しかし、却下。
でもなんとなく、この酢豚は違うと思っていた。
帰って数日は東京のひとだったけれど、わたしの頭も肉体
もどんどん北海道人に戻っていることを感じていた。
風土の力は強いのだ。埋もれるように影響されてしまう。
酸っぱいものも、あっさりしたものも、線の細いものも、
北海道には合わない。
「あぶらのってるよ」が合言葉であり、味は濃いめで、な
んでもどんと山盛りにして、いつだって大漁旗がひるがえ
っているようなのが、北方の明るい食卓なのだ。
この間こうちゃんが、退職して再就職をした会社がポン酢
屋で、ようやくさいきん根付きはじめているけれど、酸っ
ぱいものが嫌いな北海道人に買ってもらうのに、それはそ
れは苦労したと言っていたけれど、わかるなあ。
桜鯛に山椒の芽をちらした素敵なちらし寿司は、ザンギや
ポテトフライにはかなうまい。
肉を買いにデパートへ。
天をあおぐ。
まいるな。
でも、バラ肉にはしない。中華ちまきに使うから。
うまそうなロースの塊にする。
帰り道、近所のいつまでも残っていて欲しい、古い木造家
屋の裏手を通った。
赤いトタンの屋根に高い煙突。庭に面した広い引き戸は鉛
入りのゆらゆらガラス。広い広い庭の雪が溶けて、土は何
か植えるためなのか掘り返されている。
それは夢で見た景色に似ていた。
肥沃そうなのにどこか痩せて不幸な気配のあるこの冷たい
黒い土を、わたしは知っている。
明日は誕生会。
もち米を水につけ、干しエビもつけ、干し椎茸と、バラ肉
には味を入れる。
部屋も片付け、4月のごはんの仕込みも同時進行。
この間母がそれを読んで電話口で泣いていた、わたしが子
どもの頃に書いたと思われる絵日記が出てきた。
「わたしは三さいから五さいまで、バイオリンをしていま
した。熱がどんなにあっても、雪がどんなにふっても休ま
ずに行きました。バイオリンが大好きでした。でもある日
、おかあさんが、今日からバイオリンはありませんといい
ました。おかあさんは、わたしのためにといいました。わ
たしはとってもかなしくてかなしくてなきました。三つの
ならいごとの中で一ばん大すきなバイオリンをやめさせる
なんておかあさんはひどいです」
だいたいこんな内容で、チエックのコートを着て赤い譜面
入れとヴァイオリンを持って雪の中をゆく絵がかかれてい
る。
そんな恨みつらみの内容に、「たいへんよくできました」
の赤い桜マークのゴム印は押されていた。
「おかあさん、これ、この間言っていた日記?」と聞いて
もそっぽを向いてなにも答えない。
深夜、茹でたささげの鍋にごく細くした水を流して豆が揺
らいでいるのを眺めていると、あの黒い土のことがよぎっ
た。
子供部屋から見下ろしていた建物と塀でぐるりと囲まれた
日当たりのあまりよくない庭の土だ。
雪が溶けると、黒々とした活力のない土がむきだしになっ
て、それはいかにも固く冷たそうだった。
その庭にはとなりのおじいさんが杖をついた着物姿で現れ
たりすることもあったけれど、愛されてはいなかった。客
人が向かいの廊下を渡って部屋に入りテレビをつけている
のが壁にチカチカしているのや、おねえさんが窓際のピア
ノの前に座っているのを、わたしは見ていた。
大きな松が一本、庭の真ん中に植えられてこんもりと枝葉
を伸ばしていたけれど、これもまた鬱々として不幸そうだ
った。
その風景は夢のなかで少しずつ変えられながら今でも見る。
―――3日のごはん
朝は
・卵焼き
・納豆とトマト
・にしんの煮物
・にしん漬け
・昆布と大豆の煮物
・わたしが送ったおにぎり
昼は
・酢豚
・白いご飯
夜は
ハンバーグ目玉焼きのっけ