わからない
津波警報が発令されて、札幌から道東に向かう汽車
は運転を見合わせ、苫小牧行きの列車も南千歳止ま
りだった。そのせいかどうか飛行機は遅れ、京急の
終電を逃しJRに乗り換えて、大きなトランクを卓也
さんに引っ張ってもらって坂道を上り、深夜を過ぎ
て自宅に着いた。
エレベーターを降りるとライトの消えた東京タワー
の空は静かで、迎えてくれた風は札幌よりずいぶん
ひんやりして心地よかった。。
夜が明けると、夏祭りの色とりどりの提灯が公園の
空に下がっていた。
木々のざわめき、渡ってくる風、鳥たちの声、ブラ
ンコのきしむ音、しばらくするといつもよりボリュ
ームを上げた子どもたちの掛け声がまじったラジオ
体操が聞こえてくる。
札幌の母の住まいとオンラインにすると、いつも母
が腰掛けていたあたりに見える人影は、モノクロの
曽祖母の遺影だった。
母があんな気質を持ってしまったのは彼女に育った
影響が大きいのではないかと想像していたけれど、
そうではないかもしれない。兄弟姉妹がそれぞれの
性質を持つことが、泊まり込んで母の看護をしてく
れたこうちゃん兄弟と時間をともにして、一人っ子
のわたしにもよくわかったし、そういえば、曽祖母
に育った節子おばさんはとても穏やかな人だった。
猛暑の中、札幌の郊外からリニューアルオープンを
した道庁を見にいらした母の後輩と、外泊許可をと
った母がテーブルについて、どうしてあんな話にな
ったのかまるきり思い出せないけれど、母の口から
発せられた言葉が繰り返し脳内に現れる。
長いこと、母が身に着けているのは身を守るための
鎧だと思っていた。それを脱ごうとしてもまた脱が
せようとしても皮膚と分かち難く張り付いて、どこ
からが母なのか見分けがつかず、もしそれを無理に
取り去ろうとすれば血を流すことになるだろうと思
いこんでいた。
けれどそうではなかった。
母は「人の雛型にならなければいけないと思ってい
た」と言った。
ひながた。
母は自身を雛型に押し込め、人を導く手本であろう
としたのか。
何ということだ。
手本であろうとしたことがない私にはどうも今ひと
つ心情が朧にしか想像できないけれど、だから意識
はすべて外に向けられて内に向かわず、指導者であ
ろうとするものだから誰の言うことにも耳をかさず、
小さな子どものように支配的で、寂しがり屋で、人
に見られていなければ、話を聞かせなければ存在理
由がなくなり、人前ではやさしく感じがよいけれど、
完璧に取りつくろうとすることで中心を持てず、雛
型的な付き合いをしているものだから人が去って行
くことに、母は気づけなかった。
でも、わたしの前では雛型とやらを取っていたのだ
ろう。人前に出ると間違いを恐れて正しさばかりを
求めていた母は、人間的に驚くほど未熟だけれど、
私の前だけでは解放されて、とても意地悪になり、
けれどふざけたり、べったりと甘えたりしたがった。
母の不思議が、そうかそうかと解けてゆく。
卓也さん作 ラタトゥイユ
そういえば母はなんて呼んで
いたっけ?
あ、そうそう「らたづゆ」
づゆは汁のイメージであろう。


