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日々の皿

立てもの 求む





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名前を呼ばれてふり返る。


とうもろこしに釘付けになった母の目は、出かかっている

言葉を忘れて手を伸ばし、一心不乱、夢中になってかぶり

つき、あっという間に食べ尽くすと惚けた顔で「おいしい

」とつぶやいた。


入院当初、食事は「軟菜食」が出されていた。けれど、や

わらかく茹でられた青菜などは口にベッタリして気持ちが

悪いようで「一口食」に変え、今は「一般食」を選んでい

る。

それでも母は、子どものように不味いと口をへの字にして

見せる。季節に応じて、今ならさつまいもの甘煮や茄子の

揚げ浸しが出されるが、味が薄く、妙に甘く、熱くも冷た

くもなく「食べてごらん」と言う。一口もらっておいしい

ねぇとなだめるけれど、記憶に残っているのは、見ただけ

では何かわからないほど細かく刻まれたダイス状のスイカ

やトマトの類で気の毒にもなるけれど、喉につまらないよ

う高齢者に向けて作られた食事だから仕方がない。

さらに母は嘆く。いつも同じ物が出て、食べることがいや

になる、と。献立表も配られて、そんなはずはないけれど、

刻むとどれも見た目が似て、目が喜ばないらしい。さらに

は「残さず食べても痩せてゆく」と親指と中指で輪を作り

私に見せるのである。


母の好物の甘辛く炊いた牛すじや酢に漬けたナマコを持っ

て行くと汁まで飲み干して「こういうものを食べないから

力が出ない」と鼻息を荒くする。ほかに喜ぶのは果物の類

で、桃もフルーツトマトにも目を輝かせる。

持ち込んだ食べ物は持って帰らないといけないのは原則で

、けれど雪印の6Pチーズや梅干しや味付け海苔、それか

ら菓子類は、引き出しや戸棚に入れてくる。原則を知らな

いのぶちゃんは、「夏はひゃっこいもの飲みたいべ」と親

切に大きなクーラーボックスを家から持ってきて、コンビ

ニの氷の袋を入れた上にミネラルウォーターやジュースの

類、ところてんにゼリー菓子などをを並べてくれる。

許可をもらおうとすれば駄目と言われるかもしれないけれ

ど、目をつぶってくれているのは、母が終末医療に入って

いるからかもしれない。


外泊許可をとって家に戻ってきた飢えた生命力が求めるの

は、炊き立て、茹で立て、揚げ立て、焼き立ての、作り立

てだ。

黒酢酢豚の餡のつやつやしたの、表面がふつふつ波打つチ

ーズとズッキーニのこんがり焼けたトースト、鉄板餃子の

チリチリ音を立てる熱々。それから断面がツヤツヤしてい

るお刺身の切り立ても母は喜んで、実によく食べる。


スイカにかぶりついていて思い出したけれど、ある展覧会

で、海に聳える孤独な尖った岩のようなスイカが並ぶ絵画

を目にした料理評論家が「この切り方がスイカをいちばん

おいしく食べられるんです」と言ったのを聞いて、真似し

ている。

先っぽは細く、底は一口の倍になるほどに切り分けて、皿

に並べる。

先っぽをすっぽりくわえて吸うようにすると、ヒンヤリあ

まーい汁のスイカ味が口中に広がって、唸る。そのまんま

一気に底までシュクシュク食べすすむと極甘から野菜に似

た底のさっぱりまでスイカ一個分の全てを飽くことなく長

い一口で堪能できるのである。


そうやってスイカに手を伸ばしながら、おかあさんに食べ

させたいなあと、思うんである。


by hibinosara | 2025-09-04 14:24 | Comments(0)