焼き芋
札幌に帰ると、のぶ樹にいさん(母のいとこ。三男の樹)が病院まで
送り迎えしてくれる。母を家につれてくる時も、車を出して手伝ってく
ださる。どれだけ助かっているか。
初夏、病院に入院した時、看護師長さんは、これからだんだん歩けなく
なります、今は使えている携帯もこういう環境にいればすぐにできなく
なります、とうつむいたままそうおっしゃった。
けれど母は助けを求めてあらゆる知り合いに電話をしていたし、権力を
持っていると母が思っている人には「ここから出してください」と電話
で訴え続けていた。
そして、何かやっていなければ人間がダメになると、病院の廊下のボー
ドに発表の場を得て自ら書いた「書」を貼り出した。
やはり異例な母であった。その異例な母は、自宅に帰ってくると「病院
なんぞに入れた」消化できない怒りを爆発させてなかなかな修羅場にな
った。
母のことをある程度わかっているつもりでいたけれど、甘い、甘かった
なあ。
そんな母を黙らせるのは好物で、札幌に入った翌日のぶ樹兄さんが車で
病院に連れて行ってくれることがわかっていたから、母が「煙突」と呼
ぶタジン鍋で焼き芋を作り、鍋ごと新聞紙で包み、さらにバスタオルで
包んで持って行った。
病院のラウンジで包みを開いて鍋を出し、蓋を開けると焼き芋がほかほ
か顔をのぞかせた。母は単調な日々を送っているので、そんな些細なこ
とでも喜んで顔を崩し、のぶきにいさんと「おいしいねえ」と食べた。
病院では「湯気」さえ珍しいのだ。
母が帰ってくると、私は一日台所に立つ。
荒れていた母は、いかにも不味そうな顔で食し、作り直しをさせた。
そうしたいのだと思う。わたしへの怒り、それから食べ物にうるさかっ
た夫への怒りと恨みが混ざり合っている。
この頃は、こんなものは食べられないと言い出したとしてもすぐさま応
えられるようように、冷蔵庫には多くの種類の肉魚、それから野菜が入
っている。買い物や仕込みは大変だけれど、すぐに作業にかかれるよう
にしておくと、かえって心は重くならない。
朝、昼、晩、好物を作り、車椅子を押して散歩に連れて出かけ、夜は洗
い物もできないほど顔が歪んで、ばたりと倒れる。
そういう娘を見て、母はようやく満足してやさしくなる。
好きなだけ湯船に浸かって歌をうたい、夜更かしをしてテレビを見る。
好きな服を着てデパートにゆき消費社会に身を浸して買い物をするこ
とがこんなにも尊いこととは。
母は外食より、デパ地下でお刺身を選んで家で食べることを母は好む
ようになった。お刺身も病院では食べられないものね。
一番好きなのは、マグロ。


