たっちゃん
お土産は駄菓子のような麻布十番のかりんとうの詰め
合わせ。母によるとお孫ちゃんもたくさんいるらしい
し、よいのではないかと思う。うちの近所(といって
も隣町)のお菓子ですと渡すことができるし。それと
卓也さん手製の柚子ジャム。作り方は知らないけれど、
九重みりんと菜の花の蜂蜜(ローハニー)を使ってい
るせいなのか、さらりとした甘さが柚子の香りを引き
立てて、とてもおいしい。鶏肉やサラダにもぜったい
に合うと思うし、そうだ紅茶にも!
午後、たっちゃんの娘さんが迎えにいらした。
今日もお手製のお赤飯、カスタードクリームたっぷり
のワッフル、それから果物の詰め合わせをお土産に下
さった。たっちゃんは大きな呉服屋さんのお嬢さんだ
ったから商家の人特有の気遣いと華やかさがあって、
娘さんにもそれは引き継がれ、いつもたくさんのお土
産を持ってきてくださる。
たっちゃんは、数年前までは母の住まいに泊まって共
に時間を過ごしていたけれど、おむつが取れなくなる
と娘さんが連れてきてくださり一年に一度か二度、数
時間ほど母と過ごすようになり、最後に会ったのは母
の余命が残りわずか一週間と宣告された去年の春三月
二十八日。たっちゃんは前のように泊まれると思って
奥の和室に行きたがった。
わたしがたっちゃんと最後に食卓をともにしたのは八
年前のこと。母が皆を呼んで自分の誕生日を祝って欲
しがった春のことだ。母もまだ元気でピンポンを鳴ら
すと居間の奥から走って出てきた。
おいしーい、お刺身が食べたいと言った母のお誕生日
の朝早く、場内の住定でイキのいいところを買ってそ
の重量16キロ。千歳空港で持ち手が切れた時には泣
きそうになったっけ。
その時はもうたっちゃんは施設に入っていたけれど独
りで出かけることができたのだった。
たっちゃんのお漬物をもう一度食べたいなあ。旦那さ
んのご実家の新潟の笹団子も大好きだった。お小遣い
は仏壇にあげてやり取りで気を遣わせなかった。
母は要介護5でいっときは意識も薄い寝たきりで、足
も細くなり、二度と歩けないと思っていたけれど(な
のでちずちゃんに靴を差し上げたりしていた)驚異的
な回復力で、今は家の中なら一人でトイレに行くしお
風呂にも入る、今日なども車椅子には乗らず車まで支
えられて歩いた(母のあの時のことを知っている人は、
歩いている!と驚く)。
たっちゃんは起きたくないと横たわっていたけれど、
それでも去年と変わらなかった。
たっちゃんは看護師さんに「わたしの一番の友だち」
とおしえていた。
母は急にキラキラしはじめて、母の輪郭の周りに金粉
が舞っているようだった。何度か書いたけれど、一度
だけ母のオーラが見えてそれは金色だった。実際母か
ら金粉が出てきて「サイババ」かと思ったこともある
けれど、たぶん今母はその色に囲まれているんだろう
な。
二人は手を取り合っていた。
夜はすき焼きにした。
一枚が大きく広がる高級なお肉ではなく、黒毛和牛の
切り落としと、糸こんにゃくと、おネギをひと鍋にし
て。母は青臭いきゅうりを食べたがったから薄切りに
した浅漬け。それから冷やしトマト。マグロのサクは
もう売り切れて小さなパックしか残っておらず三切れ
だけのお皿。なめこのお味噌汁とふんわり柔らかく炊
いたご飯。
夕飯となったときに、母は百万円もした古いミシンが
ないとパニックになってもうごはんどころではない。
その少し前に明日病院に戻らなければいけないと思い
出して、心からガッカリして(ほんとうにかわいそう
だった)、その因果の複雑さはわからないけれど、関
係があるのだと思う。
でも私は怒ってしまった。
お母さんの好きなものばかり作ったのにと。
お母さんは私の好きな食べ物を知らないでしょう?
母親っていうのはね、娘が帰ってくるとなれば、いそ
いそ台所に立って好物を作ってくれるものではないの
?そういう気持ちがこみ上げてくるのが愛情というも
のではないの?
そういうことをされたことがないから知らないと母は
言った。でもわたしは知っているよと言った。
おかあさんは私に甘えたい頼りたい気持ちばかりでし
ょう?と。
それでもいいと、母と娘の立場は封印したはずなのに、
印を破いてしまった。

