
コロナの春から続けている「マンモス菌」のグレープジュー
ス。
急に思い出しましたが、あの頃、発酵食品を今よりも頻繁に
、意識をして、とっていました。それはウチだけではなく、
スーパーの納豆コーナーが空になり、お買い得商品も無くな
り、キムチも品薄で、全世帯のことだと感じたものでした。
それで、今もわたしたちの腸環境を整えてくれているマンモ
ス菌が、大変にぐったりしています。
とぐろを巻いて息も絶え絶えな感じがその液体から伝わって
きます。
ジュースを切らして、札幌に帰っている間砂糖だけで培養し
ていたのがいけなかったんだと思います。
いつもは「ピチピチ」と発酵の歌をうたい、蓋を開けると
「シュワッ」と笑いかけ、継ぎ足しのジュースを加えると
泡立って喜んでくれましたが今は「ピチ」ともいいません。
急いでジュースを取り寄せて継ぎ足ししたけれど、変わら
ず具合が悪そうです。
もしかすると人間と同じで砂糖をとりすぎると疲れるのか
もしれないと調べてみると、やはり、そうらしい。
前の住まいで雀と人間にほとんど違いがないことを確信し
ましたが、菌もまたそうなのかもしれません。
ジュースの瓶を変えただけで発酵をやめて静かに静かに環
境を伺っている気配がしますし。

今日はシークワーサーのジャムを作る第二段階に入るらしい
ので、お弁当を作ります。
卓也さんは、鶏そぼろ弁当。そぼろは一人前しかないので、
わたしはメザシ弁当。
長時間の根気の必要な単純作業に向くのは朗読でしかも近代もの
が合うように思います。
らっきょうの皮を剥くときは、芥川の短編がぴったりでした。
そういえば夏目漱石を読みたいと言っていたなと思い出して「こ
ころだっけ?」と訊ねると微かに首を傾ける。
「それから?」と聞くとすこし考えて「そうだなあ」と言いまし
た。オーディブルの夏目漱石名作集から選んで朗読のスピードを
すこし遅めます。

小さな房から種を出す手元は淡々と動いているけれど、聞くで
もないような顔が不意に「ふふふ」と笑うのを見るのが好きで
す。さらには何度か「これはすごい小説だなあ」と言っている
のを聞いてわずかに得意な気持ちになりました。「女ってなあ」
とは、一度聞こえてきた。
「これで終わりか」と呟いて、オーディブルが「門」に進もうと
すると「今日はもういいな」と言いました。
お昼の鶏のそぼろ弁当

わたしはメザシ

この頃カボチャのお味噌汁がおいしく感じます。
軽く火を通したケールとブロッコリーを掛け合
わせた苦味のある青菜がカボチャと合います。


そういえば春餅があったか。
小麦粉を水でといて丸く焼いた早春の太陽を祝う薄焼き
の餅。札幌に向かう朝に冷凍庫に入れてカッチカチに凍
っているそれを、フライパンで焼くと何やらおいしそう
な表情が浮かんできました。
卓也さんが自作の柚子ジャムの味をみたいそうなんです。
パンは切らしていたけれど、お皿に広げた春餅でくるく
る巻いて、たのしいなあ。
これも、たくさん焼いて冷凍庫に持っておけばたすけて
くれる一品だな。
去年は柑橘が豊作だったようで、あちらこちらからたく
さんいただきました。
わたしの発見は、柚子を丸ごと凍らせて、使う分だけ卸
金ですりおろし、吸い口に使うこと。以前は皮を薄くそ
いで冷凍していましたが、色が変わってしまうので、こ
れはなかなかよい方法だと思いました。
卓也さんは砂糖に代わってみりんと蜂蜜を使う柚子を煮
る新しい味に、年末から何度も作ってたどり着いたらし
い。
母に送るつもりの蜂蜜がたくさんあったので助かりまし
た。みりんは九重桜です。横で見ていると一升瓶を傾け
て「おおっ」と目が飛び出るほど使うけれど、実にやさ
しい味で、この方法で作る柚子のジャムはできるなら完
熟の方がより口ざわりがとろりとして、よいのではない
かと思いました。
昼はやはり札幌に立つ朝に冷凍庫に入れた大根餅と発酵
白菜のラーメン。
そういえば札幌の冷蔵庫にも立つ日に塩にした白菜が入
っています。次回帰った時は酸っぱく発酵した漬物があ
ると思うと安心です。

夜はもやしと挽肉のラーメン。ひき肉も下味を付け
た冷凍物。これもまた5日の朝に作ったラー油がよ
い働きをして、過去の自分の台所仕事に助けられた
いち日でした。
おつまみは発酵白菜です。
去年は白菜も豊作だったのかなあ。スーパーでもず
いぶん買いやすいお値段だった。
うちは奥久慈の伊藤さんから送っていただいて、白
菜漬けを何度も作りました。北の冷たい風が吹くポ
ーチでじっくり発酵するそれは実によい、風と寒気
のお陰様のお味です。
と、膝を打つ。
発酵白菜は冷蔵庫で発酵させているけれど、これも
、ポーチで甕発酵にしてしまえばいいのかも!
また、甕を探さなくちゃ。甕が大好きです。できれ
ば100年は時代がありそうな。
昔の益子の鉄釉は玉蟲のようにテラテラ光って実に
よい味だし、あの黒い松のような「垂れ」もそれぞ
れで(ないのもあるけれど)、どんなお人が作った
のか想像すると甕により近づけるように思います。



1月16日
東京に帰ってきて、うれしいこと。
鳥の声が聞こえること。子どもたちの声も。
奥久慈の伊藤さんが送ってくださった長ネギが、今年はしっか
り根づいて、わさわさ緑を伸ばしていたこと。
友から「ルート・ブリュック」の本が届いたこと。
食卓の光に深みがあり、物語っているように見えること。
白菜の漬物、大根おろし、おろし生姜の素朴な皿が並んで
いるだけなのに見入ってしまう。光の質がとてもいいのだ。
さらに、ほっけ、炊き立てのご飯、青菜、しじみ汁、を並
べると舞台のようで、口の開いた小さなしじみがテラテラ
と見返してくる。
きのう卓也さんがバス停で、日本のスピリチャルなことが
どんどんなくなるねと言った。
「スピリチャル」
彼の口からそんな単語が出てくるなんて思いもしなかった。
思わず、じっと口元を見た。
今朝それについて辞書を引いた。

のぶニイからアニキのところに電話して励ましてやって
くれ、と命を受ける。電話をする。こうニイは連絡がく
るのを知っていた雰囲気が、言葉の端っこの方に立ち昇
っている。
でも、励ますって、どうしたらいいのかわからない。
「ニイ、がんばって」というのもなんだか変だし。早く
安心できるようになるといいですね、というような気の
利かないことしかいえない。
しぜんと、のぶニイの話になった。
「でも、こうやって兄弟でグループラインを作って頻繁
に連絡したりこともなかったし、のぶはあんなんじゃな
かったのに、いまは張り切ってな。それもおばちゃんの
お陰なのさ。のぶきがなあ」とあんなに母に酷い目にあ
わされたのにそうおっしゃる。
おかあさんって恵まれている。
でもわたしもそう。
母に揺さぶられても乱れないように心をどっかり重くし
て感情を抑えるように努めてから変わった。
何かトラブルがあっても波立たないように、夜の凪いだ
海のように静かでいられるように、外界で起こっている
ことに耳を澄まして、時が流れるのを待つようにした。
そしてどうしてかいつからか「ありがとうございます」
と淡々と受け入れるようになった。
母はたいへんにわたしを苦しめたけれど、同時にわたし
にとって療法だということをある雨の上がった朝に完全
にわかった。
洗濯物を持って物干し場に向かった時、足をすくわれて
仰向けに滑っていった。後頭部で全体重を受けてゴンと
大きな音が聞こえ、痛みと水溜りの雨がじわじわと服に
滲んでくるのを感じながら晴れた大きな空を見上げて「
ありがとうございます」と呟いていた。そうしてしばら
くコンクリートの上でその感触をたしかめていた。
これは修行僧のようだなと思った。
リマインダーが「干肉リマインドです」と、繰り返して
いる。ああ。そうだ。つけ汁に漬け込んでもう2週間か。
ベランダに干場を作ってもらって、これからさらに2週
間寒気にあてる。これはたのしみ。
遠慮気味に「今日お焚き上げなんだよな」と卓也さんが
言った。疲れていると気遣ってくれたんだろう。
年末に作ったお飾り(あまりに不器用でまとまらず、龍
の形になった)と注連縄を持って赤坂に行った。
でも日枝神社の丘の上に、焦げ臭い匂いも煙も上がって
いない。
なんと今年からお焚き上げはなくなった。
やっぱりそうかとも思った。
去年あたりから感じていた。火はただ単に危ないものと
捉えられて、肩身が狭そうだと。
好きだったなあ。お守りやお札やそれからお飾りを自ら
火に焚べてめらめらと炎をあげて天にのぼってゆく様子
を見ているの。
今年から産業廃棄物になってしまうのかな。
時代が変わったのかな。
高層ビル立ち並ぶ新橋の庭に桐の木を持つ古い家を探し
て行った。あの建物がなくなって、木枠の窓の物干しに
いつも下げられている一枚のシャツが翻っていなければ
、もう本当に変わってしまったことをのみこもうと思っ
た。
虎ノ門から新橋にかけては再開発で街並みが画一的にな
ってゆくのを、街の匂いが消えていくのを、寂しい思い
で見ていたけれど、今もまだそれは続いて向こう何年も
この状況は変わらず、肩寄せ合うようなひっそりした寺
町も壊滅してしまうのだろうなあ。
さらに再開発が進んでどこがどこなんだかわからずに、
やっぱり無くなったか、とガードレールに腰掛けている
と「あるよ」と卓也さんからラインがあった。
桐の木はぶじだった。古いお家もぶじ。翻るシャツは今
日はなかったけれど電気がついている。

のぶちゃんからライン。
のぶちゃんは「樹の兄弟」の下から二番目で、子どもの頃
から顔も名前も知っていたけれど、なんとなく淡い存在だ
った。
法事があってもすぐに帰ってしまうし、人といるのが苦手
なのか、目を合わせてもほんすこし言葉を交わしてうつむ
いて、そこから離れたがっているような。だから、わたし
は嫌われているのかなあと思っていたほどだ。
こうちゃんが母から泥棒扱いされるようになって、こうち
ゃんに頼まれて母の様子をみに代わりに行ってくれるよう
になったのがのぶちゃんだ。
でもこうちゃんは「のぶは、ほんとはそういうことだめな
んだ」と言っていた。それに「あいつは変わってるんだー
」と三番目の樹の兄弟と苦笑いをしているのを車の後部座
席で聞いた時、兄弟の中ではちょっと外れたとこにいるの
だなあと感じていた。
今はなんとなくわかるけれど、のぶちゃんは外れたくて外
れていたのではないように思う。バカにされたり笑われた
りしたくない気持ちがそうさせたのではないかなあ。だか
ら発作的に怒ってしまうこともあったのではないかな(で
も、一番我慢がきくのはのぶちゃんだ)。
兄弟のいないわたしにはよく分からないけれど、今はあん
なに優しくて褒めあっている兄弟でも、子どもの頃は子ど
もらしく残酷で、兄弟にすりこまれた記憶が形を持たない
言葉の影のようにふいに浮かび上がってくることを、わた
しの耳はとらえていた。
一度はずばり幼稚だという意味のからかっている言葉も見
た。
悪気がなくても、それが冗談だとしても、のぶちゃんは沈
黙とともに傷ついていたのではないかなあ。それともそん
なことでは傷ついたりはしないんだろうか。いつか「俺は
傷つかないんだ。俺は自分がないからな」などと哲学者の
ようなことを言ったことがあって、わたしはそれを「のぶ
語録」として覚えておき後で書き留めた。
のぶちゃんは今、樹の兄弟の中心人物で、母の看取りに泊
まりがけて付き添ってくれ、スケジュールを取り仕切り、
母に怒鳴られたり、何かを投げつけられたり、噛みつかれ
たりしても、お土産を手に一番通ってくれた。
グループラインに送られてくるユーモアたっぷりな独特な
文体に樹の兄弟はたいへんに感心して、長兄のこうちゃん
は「あののぶきがなあ」と心から言葉を贈った。
そののぶ兄から(わたしは末妹の樹として、みんなを兄(
ニイ)をつけて呼ぶようにと言ったのものぶちゃんだ)今
日東京に帰る前におばさんのところには行ってやるように
頼む。とラインがきた。長兄のこうちゃんのインフルエン
ザの経過や、お嫁さんのコロナのことも案じて、俺に言っ
てくれ、なんでもするから俺の気持ちの採用を待っている
(不思議な面白い言い回しをする)。りかも何かあったら
言ってくるようにと。
わたしはのぶちゃんの独特なトークにいくつかハートマー
クをつけて送った。
札幌はぐんと冷え切っているけれど、頬や耳やピリッと冷
たく張る感じが気持ちよくて外を歩いた。寒気がオーバー
ごし滲んできて体が透明になってゆくようだった。
道庁の庭を通ると積もった雪で東南アジア系の観光客が雪
だるまを作って遊んでいる。
母は、泣いた。
泣いていたけれど、音楽便がやってきて(部屋にエレピ
が運ばれて弾いてくれる)楽しそうに聞いていた。わた
しは一緒に歌った。時間が迫って走るように母の車椅子
を押して廊下の途中まで送ってもらうと、遊びに集中し
ていた子どもが泣くように「ゆっくりしたかったのに」
とまた涙を浮かべた。
JRも飛行機も遅れたけれど、ぶじ東京着。
空気が温かい。
エントランスで大きな風に迎えられた。
エレベーターが開くと今日も東京タワーは煌めいていた。
しばらく風と話をした。

